自己主張を“する”立場から、“促す”立場へ。バスケで人生を学んだDIMEの精神的支柱―#11森本由樹<Morimoto Yuki>―

小学校からバスケを始め、名門高校を経てトップリーグへ。その後、アメリカ留学、再びのトップリーグ復帰、さらに3×3転向と、スポーツ選手としての王道に絶妙なスパイスを効かせてきたのが森本由樹選手と言えるでしょう。『TOKYO DIME』を心身で牽引する彼女にとって、バスケとは――。

©TOKYO DIME


今、自身の体とイチから向き合う

―有明葵衣(#21)、瀨﨑理奈(#19)といった点取り屋、シュータータイプではないが、TOKYO DIMEでは相手チームの“壁”となる。

「大きい選手を体を張って止めるのは得意です。気持ちはジェフリー・ギブス(※1)ですね(笑)。彼は体の使い方がとにかく上手くて、身長のミスマッチをカバーしている。ゴール下で得点を重ねたり、相手を抑え込んだり…。私にとってはプレーのお手本。相手が嫌がるプレーをどんどんしていきたいです」
※1: Bリーグ、『栃木ブレックス』所属のプレイヤー。フォワード・センターを務め、“重戦車”とも形容されるフィジカルを生かしたプレーに定評がある。

―ベーシックなことの積み重ねの先に、相手より抜きん出ていたい。そんな思いで日々トレーニングに臨んでいる。

「皆と同じことをしていても同じ結果にしかならないので、違うことをやりたいという気持ちはありますが、そのためにも今できる最大限のことを追求するというのが、私の中での答えです。自分一人では気づかない弱さを周りにどんどん指摘してもらって、ゴールを見定めてトレーニングしていきたい。小さなことの蓄積が、結果として差を生むはずなんです」

Photo:Naoto Yoshida


―チーム最年長。『3×3.EXE PREMIER』女子カテゴリーで初代王者となったが、自身のプレーに反省も多い。森本は今、自分の体とイチから向き合っている。

「昨年の秋頃、トレーナーさんから『体の末端から動かそうとしているので、動作が一瞬遅れがち』というアドバイスを貰って。以来、体を芯から動かすトレーニングを通じて、当たり負けしないパワーや、動作の安定性を身につけようとしています。今は自分の体をどう動かすべきか、原点に立ち返っているところ。以前より、幾分体のキレも良くなっている感覚はあります」

「こんな選手、他にいないと思います」

―「兄の影響」でバスケを始める。高校バスケの強豪として知られる神奈川県立富岡高(現・神奈川県立金沢総合高)に進学すると、スモールフォワードのポジションにコンバートされた。

「3番(スモールフォワード)を任されてからは、私よりも身長の低い人がセンターをやったりしていました。自由にプレーさせてもらって、凄く楽しかったことを憶えています。ただ、若かったので、当時は自分のことしか考えていませんでしたね…。試合に出るために、いかに自分が目立つか。行き過ぎるとチームが崩壊してしまうので、そのあたりは先輩が上手くまとめてくれていました」

―高校卒業後、WJBL(※2)の『シャンソンVマジック』に加入。2度のリーグ優勝も経験した。5シーズンプレーした後、アメリカへ渡る。

「実業団でプレーをする以外の人生も経験してみたいと思っていたので、自分でゴールを決めた方がいいのかな、と。私は高卒で実業団チームに入ったので、社会経験がゼロ。バスケをやっていればいいという環境でした。だから、勉強と経験の場を求めてアメリカに行くことにしたんです。

なぜアメリカだったか? やっぱりバスケの本場ですから(笑)。NBAも、WNBAも観たかったという気持ちもありましたね。一人暮らしも初めてだったし、心身共にようやく自立できたという感覚でした。

体育館に行けば、その場でピックアップゲーム(※3)が始まったりして。最初のうちは言葉の壁もあるし、突然日本からやってきた私にボールなんか回ってこなかった。それなら自分で、とリバウンドを取ってドライブを決めたんです。それがきっかけになって、仲間からパスが来るようになったり、名前を聞いてくれたり、私を生かすプレーをしてくれたり…。

通過儀礼というか、“私はここにいる”という意思表示をして初めて認めてもらえるというか。その後にプレーしたカレッジのチームでも同様でした。改めて自己主張の大切さを感じましたね」
※2:日本の女子バスケットボールトップリーグ
※3:誰でもその場に居合わせた人で行うゲーム

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―アメリカから帰国後、迂余曲折を経て再びWJBLの舞台に舞い戻る。『東京羽田ヴィッキーズ』で5シーズンプレー。現チームメイトの瀨﨑とも同僚だった。

「入団前は大学でコーチをしていたのですが、学生の純粋なプレーを見て、『もう一度』という思いが湧いてきて。そのタイミングで、高校時代の恩師が羽田の監督に就任することになって、声をかけてもらったんです。

確か日曜日の早朝に電話があって、『やるか!?』、『やります!』みたいな(笑)。レイアップシュートすらできない状態から、コツコツ体を戻していきました。5年置きにトップリーグとブランクを行き来している選手なんて他にいないと思いますよ」

―2018年3月にWJBLから引退するも、3×3転向、TOKYO DIMEへの加入もその道の先にあった。

「瀨﨑の声掛けがきっかけでした。同じようなタイミングで羽田を退団したのですが、コンディションとは裏腹に出場機会の少ない彼女の姿を見ながら、『このまま辞めたら、バスケを嫌いになっちゃうんじゃないか』と心配していて。“おせっかい”なんです、私(笑)。

だから、瀨﨑から『3×3でバスケを続けます』と言われた時は素直に嬉しかった。そうしたら、『一緒にやりませんか…?』と。それまでは、もうバスケは続けないと固く決めていたのに、その一言で気が変わりましたね

プレーする前は、3×3は個人要素が強い競技だと思っていました。ボールホルダーはどんどんアタックする、マンツーマンで守る場合も多い。でもやってみたらピック&ロール(※4)もあるし、チームメンバーが連動して動いていかないと、試合に勝つのは難しいと分かったんです。

監督もいないので、5人制以上にメンバー間のコミュニケーションを促しています。自分ばかり発信するのではなくて、皆が発信できる環境を作る。昔、主張の強かった自分たちをまとめてくれた先輩のように。これまでの気づきが統合されて、今に役立っていると感じます」
※4:オフェンス戦術の一つ。スクリーンを仕掛けて(ピック)相手ディフェンダーを封じつつ、自らフリースペースで移動(ロール)してパスを受ける

人生であり、学ばせてくれるもの

―TOKYO DIMEでチームメイトの有明とは歳も近く、共にチームを精神面から牽引する存在だ。

「葵衣とのやりとりは特に多いかもしれません。苦しい時ほど、2人でチームを鼓舞していきます。体力が消耗して辛くなると、誰も声を出さなくなって、シンドイまま、という負の連鎖になってしまう。皆に気持ちがノッたプレーをしてもらうために、私たちが起点になっていきたい。DIMEのメンバー一人ひとりが自分の役割を見つけられるように、潤滑油になっていけたらと考えています」

―小学生から始まった競技歴も20数年を数える。その途上で多彩な経験を積みながら、森本は、今もバスケに打ち込んでいる。

「バスケがなければ、ここまで夢中になれるものはあったんだろうか、と。同時に、バスケがなくなったら何も残らない人間にはなりたくないという思いで、積極的に学びを求めてきたつもりです。そのことに気づかせてくれたという意味でも、バスケは私にとって人生そのものであり、“学ばせてくれるもの”ですね」

Photo:Naoto Yoshida

(Text:Naoto Yoshida)

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