「花形を捨てることで、生きる道を見つけた」。裏方に徹するDIMEの影のエース―#70小松昌弘<Komatsu Masahiro>―

3×3日本代表にも2016年から3シーズン連続で選出されている小松昌弘選手。5人制バスケで磨いてきた彼の実力の源泉は、高校時代に「能力に任せたプレーを捨てた」ことにありました。ひたすら走り続け、時にダーティなプレーも厭わない小松選手のボーラーとしての矜持を聞きました。

©TOKYO DIME

些細なプレーから“ズレ”を作り出す

―都内の大手企業に勤務する傍ら、シーズン中は週2回のチーム練習の他、ジムトレーニングを行う。自宅近くのスポーツセンターでは地元コミュニティのバスケに混ざり、限られた時間の中で研鑽に励んでいる。

「スポーツセンターの開放日みたいなのがありますよね。そこで高校生から社会人までが自由にバスケをしている中に入ってやってます。『1対1やってください』って言ってくれる子も結構いて、僕も(1対1は)苦手なので、スキルアップにも繋がるし、プレーの振り返りにもなるので、自分にとっては良い時間ですね」

―現在34歳。昨シーズンは途中で怪我に見舞われながら、自身の役割に務めた。

「怪我をかばいながらプレーしてました。治りも悪いし、歳かなと(笑)。プロと違って自分の体と向き合う時間も少ない中で、何ができるか。そんな思いで今、バスケに取り組んでいます。

僕自身は、相手の様子や味方の動きを客観的に分析して、最適なプレーを模索するタイプ。例えばナンバープレー(※1)やスクリーン(※2)のかけかたといった、些細なところから相手との“ズレ”を作っていかないと、良いプレーは生まれない。要は自分のチームが簡単にシュートを打てる状況を作り出せるか、ということなんです。これまでは、次の展開を生み出す際に僕が起点になることが多かったので、相手を見て、“誰が何をするか”という共通理解を、チーム内で深めていく必要があるとは思っていますね。3×3は先手を取らないと厳しい競技なので」
※1:セットプレー。オフェンスが決められた動きを展開し、シュートに結びつける
※2:対峙する相手選手の動きを制するプレー。主にオフェンス時に味方の動きを補助する際に用いられる

Photo:Naoto Yoshida

 

―メンタル面の上下は少なく、淡々とプレーを遂行していく。

「社会人になって、バスケをする環境が減った中でも“勝ち”を追求していくと、その時々のベストなプレーをする以外に勝つ方法はない、という心境になっていったんです。

人より練習していない分、普段は会社で考える仕事をしているので、それがバスケにも生きている部分はあると思いますね。その意味では、ビジネスマンとしての自分と、プレイヤーとしての自分はリンクしていると感じています。事前準備やコミュニケーション力、思考力、表現力、まだまだ足りてないですが、バスケばかりやっていた学生の頃よりは、随分と磨かれました」

能力に任せたプレーは、高校時代に諦めた

―バスケを始めたきっかけは、小学5年生のミニバス。中学、高校と競技を継続する中で培われた“観察眼”は、現在のプレーに繋がるものでもある。

「身長は高い方ではありましたが、センターではなくて、ガード、フォワードといろいろなポジションでプレーしていました。能力はなかったですよ(笑)。だからこそ、今に繋がっている部分もあります。(能力の差)は、高校に入ってから如実に現れてきました。遊び感覚で1対1をしても『これは敵わない』と。当時、同世代には竹内公輔(現Bリーグ・栃木ブレックス所属)、譲次(同・アルバルク東京所属)兄弟や石崎巧(同・琉球ゴールデンキングス所属)、DIMEのオーナーでもある岡田優介(同・京都ハンナリーズ所属)を始め、超高校級のプレイヤーがひしめき合っていて、“ゴールデンエイジ”とか“竹内世代”なんて言われていました。だから、自分の能力に任せたプレーは高校時代から諦めていて、相手チームの観察をする癖がついていきましたね」

―大学は筑波大学でプレーし、就職先でもバスケ部に所属。全日本社会人バスケットボール選手権大会で準優勝メンバーに名を連ね、オールジャパン(全日本バスケットボール選手権)にも出場した。しかし、ターニングポイントは同部を退いた後に訪れた。

「会社員のバスケって、体力も含めたバロメーターが大学時代をピークに落ち続けていく過程にあると思うんです。ごまかしながらプレーして、社会人で全国2位になって辞めたわけですが、それなりに結果を残すこともできたし、やれることを120%やった感覚はあったんですよね。辞めた時は、それこそ体力なんてゼロでしたよ。

そこからまたクラブチームに入ってプレーするうちに、(3×3の)日本代表合宿にも呼ばれるようになって、改めて感じたんですね。『自分はこんなに体力がないのか…』と。それからは、毎日トレーニングをするようになりました。もう一度頑張ろう、と」

©TOKYO DIME

―3×3プレイヤーとしてのキャリアは、『RBC東京』のメンバーとして出場した2015年の『第1回3×3日本選手権』から始まった。同大会で優勝後、茨城県つくば市を拠点とするクラブチーム『Alborada』を経て、2017年シーズンより『TOKYO DIME』に所属している。

「『3×3.EXE PREMIER』に関して言えば、僕がプレーし始めた頃と今では、環境も、競技レベルも違いますが、当時から『絶対に負けたくない』という思いを持ってやっています。というのも、3×3のプロと5人制のプロは、まだまだレベルが違うんですね。

その差は、報酬を貰ってバスケをしているかの違いだと思っていて。そこに歯がゆさもあり、だからこそ、PREMIERの中で負けるわけにはいかない。最近では、Bリーグから参戦している選手もいますが、彼らと同じレベルでプレーしないといけない、という思いはありますね」

“ドスグロ系”という生き方

―強みは「馬車馬のように走ること」と話す。

「ドリブルがあるわけでも、ジャンプ力があるわけでもない。フィジカルも外国人選手ほどではない。常に裏方に徹する、玄人受けするプレイヤーだと思います。決して花形ではなくて、アンクルブレイク(※3)とか、ダンクのように、試合のハイライト映像には一切出てこないタイプですね。派手なプレーもやろうと思えばできるんですけど、機会が少ないですから。その意味では、DIMEのメンバーでは一番地に足がついていると思いますよ(笑)」
※3:オフェンス時の1対1等の場面で、ディフェンスの足を崩し転ばせること

―周囲の選手から「ダーティ」と評されるしたたかなプレーも身上とする。

「嫌がらせ、好きですね。バスケをやっている時はプレーの性格は相当悪いです。味方にとっては凄く心強いけれど、敵に回したらやっかい。先手を取ることが大切な3×3で、冷静に相手を分析することと、馬車馬のように走り回って相手のリズムを乱すことが、僕のアピールポイントです。

自分に花形のプレーが求められていないと、早い段階で気づいたことが、今も生き延びている要因だと思いますね。かっこいいプレーはできないけれど、渋いプレーやダーティなプレーにもフォーカスして欲しい。“ドスグロ系”というか、こんな生き方もあるんだ、ということに…」

Photo:Naoto Yoshid

(Text:Naoto Yoshida)

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