「バスケをもっと身近なものに」。ストリートバスケの黎明期を知るDIMEの大黒柱―#7鈴木慶太<Suzuki Keita>―

小中高と過ごしたアメリカでバスケと出逢い、一度挫折を経て、ストリートの第一線でプレーし続けてきた鈴木慶太選手。ストリートで培ってきた判断力と勝利への執念を3×3のフィールドでもいかんなく発揮してきました。昨季は3×3日本代表でも結果を出し、『TOKYO DIME』にとっても欠かせないプレイヤーです。バスケと人生が同義とも言える鈴木選手の思いを聞きました。

©TOKYO DIME


アメリカで親しんだバスケ。帰国後、唐突な縁でストリートへ

―小学5年生の時、父の転勤で高校2年生までアメリカで過ごす。バスケと出逢ったのも同地だった。

「言葉も分からないし、友達もいないのでやることがなくて。そうしたら父親が自宅の前にバスケットゴールを立ててくれたんです。同じくこちらに来ていた兄の友達がバスケ部で、彼に教えてもらうようになってからハマっていきました。公式戦に出たのは帰国間際の高校2年生の時。学校の学年別代表チームのトライアウトに受かって、地域のリーグ戦でプレーしていましたね。

アメリカでは、どこでもバスケットゴールがあるし、地域の施設に行けばいつもピックアップゲーム(誰でもその場に居合わせた人で行うゲーム)をやっていて。年齢もさまざまで、大人に混ざってバスケをするのが大好きでした。それが自分の原点です」

―帰国後、日本の大学に進学するが、雌伏の時を過ごす。

「日本に帰国して、明治大学バスケ部の門を叩きました。もう、全然歯が立ちませんでしたよ。『アメリカでもソコソコやっていたし、日本でもいけるだろう』――。実力もないのに、そんな慢心もあったかもしれません。嫌になって、一度止めてしまいました」

Photo:Naoto Yoshida


―バスケから心が離れかけた矢先、ストリートに出逢った。

「大学卒業後にスポーツトレーナーの専門学校への進学が決まっていたのですが、入学の直前だったかな、日本でストリートバスケをやってる人たちと出会ったんです。それで、初対面でピックアップゲームをやって。街中のコートじゃなくて、普通の体育館ですよ。ゲームが終わってから声をかけられたんです。

『ゆくゆくは、ストリートボールのプロリーグを作ろうと思ってる。お前も興味あるか?』と。

唐突だったので『あ、ハイ』みたいな(笑)。よくわからないけれど、とりあえずやってみようと。でもプレーしていくうちに、アメリカでの原体験が蘇ってきて、『自分にはこれだ』と強く思うようになりました。誰もがフェアにバスケを楽しめる場所で育ってきた自分にとって、ストリートバスケの世界は、内面にスッと入ってきましたね。無意識にそんな環境を求めていたのかもしれません」


年齢との対峙と、ストリートボーラーとしての矜持

―現在37歳。ストリートから出発し、今や3×3でも象徴的な存在だが、一方で年齢を気にされるようにもなった。

「最近聞かれるようになりました。『体力的に大丈夫なのか』と。でも、“老い”ってなんだろう、と。何歳になっても新しいことにはチャレンジできるわけですよね。今までのようにいかなくなるのが仮に“老い”だとすると、今までと異なったアプローチで上達する方法、補う方法は無限にあるはず。自分の中に高い基準を定めて追求していけば、今よりもパワーアップが可能だと思っています。

そんな境地に至ったのは、一度挫折した後にストリートバスケに出逢って、環境を言い訳にすることなく、いわゆるトッププロの選手にどうすれば追いつけるか、勝てるかを考え始めたのがきっかけかもしれません。当時23歳でしたが、バスケに再度向き合おうと。

・・・とはいえ、リカバリーの早さはやっぱり昔とは違いますね。なので意識的に休むようにはしています。それでも、昨日よりも今日は上手くなっていたいと思うから、常に何かやろうとしちゃうんですけど(笑)」

©TOKYO DIME


―ストリート黎明期からプレー。バスケの土壌づくりを担ってきた自負もある。

「僕の目標は“バスケットボールをもっと身近なものにしたい”ということです。街中にバスケコートを増やすとか、人々のライフスタイルに、もう少しバスケが浸透するとか。それはファッションにしてもそうですよね。要はバスケが好きで仕方がないんですよ。

日本において『ストリートバスケってなんぞや?』という時期からプレーしてきました。今では少しずつ変わってきていると思いますが、当時は『日本のバスケはダサい。バスケはカッコよくないと』と思っていました。見方を変えれば楽しみ方はたくさんある。例えば、ストリートバスケやNBAの世界では、クロスオーバー(※1)の時に、対峙した相手が目の前から消えるほどズレた時に、会場が揺れるんです。細かくてマニアックですけど、シンプルにシュートが入った時に限らず、そういう見方でバスケはもっと面白くなると思っています。
※1:オフェンスが、左右の動きでディフェンスを揺さぶるプレー

僕も、得意なプレーはクロスオーバー、って言いたいところなんですけど、奥が深いし、まだまだ研究中です。でもどんなシンプルな仕掛けの中でも、出来る限り沢山の選択肢を持って相手の裏をかき続けるのがバスケ。僕は、“止められないプレイヤー”を常に目指してます


負けん気のルーツは、“フェアな競争環境”にあり

―『TOKYO DIME』でプレーするきっかけは、現オーナーの岡田優介にあったという。

「最初は敵だったんです。2013年に日本で初めて3×3の国際大会が東京で開催されて、そこで対戦したことがきっかけですね。僕らはストリート上がり、かたや岡田くんは推薦出場の選抜チーム。『もう、絶対負けたくねぇ』と。試合に勝ったら、練習に誘われて。僕からすれば雲の上の存在だったのが、『なんだ、良い奴じゃないか』と(笑)。経歴に関係なく、実力を認めればフェアに接してくれる岡田くんの人柄に惹かれたんですよね。その後、DIMEができて3年目ぐらいの時期に直接声をかけて貰って。この人となら同じ気持ちでできるんじゃないかと思いました」

―『3×3.EXE PREMIER』の舞台では、『TOKYO DIME』の柱としてBリーガーに対しても堂々と対峙してきた。生来の負けず嫌いである。

「違うフィールドの選手と戦う時こそ、自分を証明できるチャンス。同じ土俵に立つからには条件は一緒ですから、絶対に誰にも負けたくないです。強みを挙げるとすれば、1on1。それから、ここぞ、という時のショットにはこだわっています。例えばノックアウトショット(※2)。自分でゲームを決めたいという思いが強いので、そういうシチュエーションはワクワクしますね。
※2:10分の試合時間か21点先取で勝敗が決まる3×3。21点目のショットをノックアウトショットと呼ぶ

勝ち気な性格は、アメリカでの経験も影響しているかもしれません。(バスケが)上手い大人に向かっていくことが楽しくて。“フェアな競争環境”があって、皆に等しくチャンスが与えられていたように思います」

―2018年の『3x3FIBAアジアカップ2018』では銅メダルメンバーに名を連ね、大会ベスト3にも選出された。日本代表での経験も豊富だからこそ、葛藤もあるという。

「昨(2018)シーズンは3×3日本代表でも結果が出せたシーズンでした。『こう戦えば、世界とも渡り合える』という感覚も得ていた中で、それをDIMEにどう還元するかという部分で、なかなか上手くいかないこともありましたね。

ショットクロックの短い3×3では、判断力が非常に問われる。そこを突き詰めないと世界では勝てないわけで。10分という試合時間の中で規律、集中の乱れないチームを作っていきたい。少ないチャンスの中で、良い判断、良い攻め、良いシュートを維持していかないといけません。その意味で、自身の経験をチームに還元していかないと、僕がDIMEでプレーしている意味がないと思っています」

Photo:Naoto Yoshida

(Text:Naoto Yoshida)

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